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2018年04月01日 [家系図]
先日、家系図作成のため戸籍を整理していたところ、珍しい記載がありました。
分家と同時に名字が変わっているのです。
戸籍には「明治4年〇月〇日△郡□村 大石徳三郎二男分家」(仮名)と書いてあるのですが、分家した二男の名字は「大石」ではなく「松田」(仮名)になっているのです。

江戸時代において名字を名乗ることことのできるのは公家や武士などの支配階級に限られていましたが、明治3年に「平民苗字許可令」が定められ、平民も名字の使用を許されました。しかし、当時の平民(国民)は税金が課されるなどの噂によりあえて名字を使用しない人が多くいました。そこで明治8年に明治政府は「平民苗字必称義務令」を出し、名字を名乗ることを義務化したのです。また、明治5年には「通称実名を一つに定むる事」太政官布告によって登録された戸籍上の氏名は簡単に変更することができなくなりました

二男が大石家から分家したのは明治4年ですから、分家の際に名字を変更するのに法的規制はなく、自由に名字を変えられる時代だったということになります。したがって、明治5年以降については分家と同時に名字が変わるというような戸籍の記載を見ることはないのかと思います。
今まで何千通、もしかすると何万通もの戸籍を見ていますが、今回は新たな発見でした。



気分転換です。
冬の間、山歩きは中断していたので、今日は花見を兼ねてウォーキングをしてきました。
以前、出かけたことのある尾根緑道です。尾根緑道は、町田市の全長約8qの緑道で今は桜がとてもきれいな時季です。
自宅を出発し、途中にあった小さな公園です。見事な花が咲いています。
小さな公園

家から40分ほど歩くと尾根緑道に入ります。
尾根緑道1

緑道のほとんどは遊歩道になっているのでのんびりと歩けます。桜の花は散っている木もあれば、これから開花する木もあり、まだ1〜2週間は花見ができそうです。緑道には開花時期が少しずつ異なる18種類の桜が植えられているとのことです。
尾根緑道2

2時間半ほどで今回の目的地の京王線多摩境駅に到着し、そこから電車で帰ってきました。約10qのウォーキングでした。
尾根緑道3

2018年03月12日 [家系図]
このところ、すっかり春らしくなり暖かな日が続きます。
我が家の隣の公園にも梅の花がきれいに咲いています。

公園の梅

通常、花見というと梅でも、桃でもなんでもいいような気がしますが、正式に「花見」とは桜の花の観賞する行事だけを指すようです。俳句でも「花」といえば「桜」のことになります。
今月の初めに伊豆の河津桜を見に行ってきましたが、それは正式に?花見に行ってきたといえるようです。
では、桃や梅の花を見に行くときはどのようにいうのでしょうか。「桃の花見」「梅の花見」で大丈夫のようです。日本語はややこしいですね。

今回は、江戸時代の住所についてです。
家系図を作るために戸籍を見ていると、明治時代に書かれた古い戸籍に江戸時代の本籍地が書かれていることがあります。例えば、江戸時代の弘化元年(1844)に婚姻により入籍した女性について戸籍に「弘化元年3月15日同県同郡同村 亡春山太郎長女入籍」と書かれていることがあります。表題部の本籍地欄を見ると「神奈川県高座郡淵野辺村〇〇番戸」と書かれていますので、その場合、普通に考えると「同県同郡同村」とは「神奈川県高座郡淵野辺村」ということになります。
しかし、この女性は江戸時代に婚姻したのですから、正確にいうとその当時の地名である「相模国高座郡淵野辺村」ということになります。であるにもかかわらず戸籍には江戸時代の地名ではなく、明治以降に定められた本籍地で書かれているのです(たまに「武蔵国」「相模国」など江戸時代の地名で書かれていることもありますが・・・)。
ただ、注意しなければならないのは、「同県同郡同村」というのは前の戸籍に書いてあることを戸籍の様式の変更や転籍などで移記されている場合は、表題部に書いてある戸籍とは異なる本籍地の可能性があります。したがって戸主の欄に分家や転籍などの記載がないか注意する必要があります。「同県同郡〇〇村」と書かれている場合は〇〇村をネットで検索すると、どの県や郡なのかは分かります。

戸籍には、なぜ江戸時代の地名を使っていないのかについてですが、戸籍の始まりの明治4年戸籍法では住居地登録を建前とし、本籍の表示には屋敷番号を採用することになりました。その後、明治19年式戸籍から土地番号が採用されました。つまり江戸時代の住居表示については土地番号が使われていなかったため、新しい制度である戸籍では土地番号(屋敷番号)を使った本籍地で書くことで統一したのかと思います。
したがって、当事務所で作る家系図には、江戸時代の地名は使用せずに戸籍に書かれている本籍地(地名)を使用しております。


2018年02月04日 [家系図]
先日、家系図を作るため戸籍を見ていたところ「縁女入籍」と書かれているのを見つけました。とても珍しいものです。
縁女といういのは、旧民法施行前(明治31年)にあった制度ですが、幼少女を将来、自己の男子(通常は長男)の妻とする目的で入籍させるというものです。その戸籍には縁女として8歳で入籍し、16歳でその家の長男と婚姻した旨書かれていました。
このような制度は女子だけではなく男子にもあったのです。幼い男子を将来、自己の長女の夫にする目的で入籍させるというものですが、これを「縁男」と言います。縁男で入籍させた場合は、将来の婚姻の相手となる長女の氏名の肩書に「養子某縁女」と記載していたようです。
今まで縁女というのは何回か見たことはありますが、縁男というのは一度も見たことはありません。
「縁女入籍」「縁男入籍」については民法施行(明治31年)によってなくなりましたが、その後、戸籍を移記など転属させるときは、民法に適合させるため通常の養子縁組届出により登記することになり、縁女、縁男の断縁するときは通常の養子縁組の離縁の手続きがとられるようになったそうです。


今日はとても良い天気だったので、埼玉県の長瀞にある宝登山(ほどさん)のロウバイと最近話題の「三十槌の氷柱」(みそつちのひょうちゅう)を見てきました。
最初に宝登山に行きました。
宝登山(497m)はロウバイの花で有名な所です。ロウバイ園は山頂近くにありますが、そこまでロープウェイを利用しました。
ロープウェイを降りて、少し歩くとロウバイ園があります。
まだ、ロウバイの花はつぼみのものもありますが、とてもきれいです。

ロウバイ園

ロウバイ

ロウバイ園3

帰りにロープウェイ山麓駅の近くにある宝登山神社にお参りをして、次の目的地、秩父市にある三十槌の氷柱へ行きました。
氷柱は、高さ約10m、幅50mと見事です。
隣り合って2か所あり、夜間にはライトアップするそうです。

氷柱

三十槌の氷柱1

今日は天候は穏やかでほとんど風もなかったため最高の行楽日和になりました。



2018年01月25日 [家系図]
このところ、日本列島に強力な寒波が押し寄せていて、テレビなどでは連日のように降雪に関するニュースが流れています。今日は、東京でも最低気温がマイナス4度を観測したそうですが、この冷え込みは、1970年以来、48年ぶりという記録的なもののようです。我が家の外の水道も凍結して蛇口を回そうとしても動きませんでした。今後も当分寒さは続くとの予報ですので水道はそのままにしています。ただ破裂が心配です。

雪の樹木

今回は、古い戸籍の読み取りについてです。
戸籍を元に家系図を作ろうとする人にとって障害となるのは文字ではないでしょうか。明治、大正時代のように古い戸籍になると、まるで暗号のような文字が書かれていることが多くなります。自分で戸籍を取り寄せて家系図作成に挑戦してみたけど、くずされた文字を読むことができず、役所の戸籍係に聞いても読めないとのことで、当事務所に依頼されてくる方は少なくありません。
そのような方に文字の読み取り方について紹介したいと思います。知っていれば大分読み取りが楽になるはずです。参考にしてみて下さい。

〇数字について
現在の戸籍は、コンピュータ化されているのでアラビア数字の1、2、3・・が使われていますが、手書きの頃の戸籍は、戸籍法施行規則に「壱(壹)」、「弐(貮)」「参(參)」「拾」の文字を使わなくてはならないと定められていましたので、年月日、時刻は漢字で書かれています(実務上は、「一」、「二」、「三」等の簡単な漢字も使われていますが)。
その他、多く使われている数字は、「廿」(にじゅう)、「丗(卅)」(さんじゅう)などや、1月を「正月」と書いたり、月末を「晦日」と書いてあるものもあります。
戸籍は、一つの記載事項について必ず年月日が書かれています。また、死亡については時間が書かれています。したがって午前○○時〇分などと書かれていた場合は死亡日時ということになります。
・年→3文字で書かれている場合は、明治であれば最初の文字は「壱」「弐」「参」「四」のいずれかになります。2文字目は「拾」のみです。
・月→2文字の場合は、1文字目は「拾」になります。
・日→2文字の場合は、1文字目は「拾」「廿」「丗」のいずれかになります。3文字の場合は、1文字目は「弐」か「参」です。2文字目は「拾」です。

〇本籍地について
本籍の文字が消えて読めなくなっているものについては、その一部を読むことができれば、読み取ることのできる文字を入力して、ネットで検索してみてください。例えば、山形県南置賜郡成〇村と読めた場合、「山形県南置賜郡」で検索すると同郡の情報が出てきます。その中から「成」と「村」が入っている3文字の地名を探すと「成島村」という地名があることが分かります。


2017年12月23日 [家系図]
このブログを読まれている方は、家系図に興味をお持ちの方かと思います。
今回は、家系図作成に重宝な情報源となる戸籍の廃棄についてです。

家系図を作るためにご先祖を調べる手段はいくつもあります。
〇 戸籍簿、除籍簿の調査
〇 旧土地台帳の調査
〇 親族や知人からの聞き取り
〇 古文書(宗門人別帳、分限帳等)の調査
〇 お寺での調査(墓石、過去帳、戒名)
〇 郷土史等の調査

夕暮れの雪景色
このなかで圧倒的な力を発揮するのは戸籍調査です。
戸籍(除籍を含む)には、全国民の身分関係(親子関係、婚姻、死亡等)が記録されていますから、これを利用しない手はありません。もちろん誰のものでもということではなく、家系図作成の目的で請求できるのは直系血族の戸籍のみです。
戸籍は、今から約145年ほど前の明治5年に始まった制度です。ただ、明治5年式(壬申戸籍)の戸籍は差別的な内容が書かれているとして現在取得することはできません。取得できるのは明治19年式の戸籍からになります。
仮に、明治20年(1887)に作られた戸籍に70才のご先祖が載っているとすると、70年前の1817年の誕生日が書かれています。1817年は文化14年です。
幕末といわれるのが黒船来航(1853年)頃からですから、幕末よりも更に前の江戸時代後期ということになります。戸籍には前戸主の名前も載っています。したがって前戸主が父親だとすると更に1世代上の1700年代に生まれたご先祖の名前まで判明することになります。
そこまでの親子関係が正確に繋がるのです。仮に10回、20回と転籍を繰り返していたとしても、従前戸籍を追いかけていけば、その人が日本に住んでいる限り確実に先祖を遡っていくことができます。
戸籍を利用しない家系図作成はあり得ないと言ってもいいくらいです。

家系図作りでは本当に重宝する戸籍ですが、全ての人が明治19年式戸籍まで取得できるとは限りません。
というのは、戸籍法施行規則には、除籍後、一定の期間を経過すると除籍簿を廃棄することができると定められています。現在の除籍簿の保存期間は150年ですが、平成22年の法改正前までは80年で廃棄することができました。
したがって、戸籍請求していると、請求先の役所から保存期間経過により廃棄している旨の通知が届くことがあります。一般的に大都市ほど廃棄している傾向があるように感じます。したがって政令指定都市の場合は、最初から明治19年式戸籍は取得できないと思っていた方が無難なのかもしれません。

古い戸籍が取れない理由は他にもあります。戦災、震災、火災等による滅失です。
ご先祖が東京中心部であった方は、廃棄・関東大震災・東京大空襲によりほとんど期待はできません。
ただ100%無理ということではなく、東京でも板橋区と台東区から明治19年式の戸籍が届いたことがあります。それには驚きました。
それに対し、地方の市町村では廃棄せずに残してくれている可能性は高くなります。ただ傾向があるということであり、小さな村役場からも廃棄により交付できない旨の通知が届くことがあります。
私の経験では、一番古い明治19年式戸籍を取得できる割合は7〜8割かと思います。





2017年11月25日 [家系図]
「パワースポット」という言葉は1990年代から使われるようになった比較的新しい言葉です。
最初にその言葉を使った人は日本の超能力者 清田益章氏だと言われていますが、最近ではすっかり市民権を得た言葉になっています。
パワースポットとは、簡単に言うと大地のエネルギーがみなぎる場所ということかと思います。
つまり草木が元気に育ち神聖な気の漂っている場所ということです。
関東でパワースポットといわれる場所で有名なところは、富士山、明治神宮、高尾山薬王寺などがあります。悠久な自然が織りなす景色や信仰や修行の場所であり、いずれも大地からのパワーを受けた木々が生い茂っています。
大樹

当事務所では、自分のルーツを知りたいという人のために家系図を作っています。実はルーツを訪ねる旅というのはパワースポットへの旅でもあるのです。つまり、鈴木さんには鈴木さんの佐藤さんには佐藤さんのルーツがあります。同じ名字を持つ一族には共通の祖先があります。祖先が生れた地にある神社や仏閣などは強力な影響を与えるパワースポットがあるといわれます。
例えば、鈴木氏の藤白神社(和歌山県南海市)、佐々木氏の沙沙貴神社(近江八幡市)などですが、いずれも鈴木姓と佐々木姓の発祥の神社です。名字に関するルーツについて詳しく知りたい方は、「地図と家紋で知る名字のルーツ」(姓氏の歴史研究会編)をご覧になってください。約80種類の名字について書かれています。
自分の名字のルーツとなる神社等が分からない場合は、家系図を作って判明した一番古い本籍地にある神社に行ってみてはいかがでしょうか。きっと江戸時代にその地で暮らしていたご先祖様から運気アップの強力なエネルギーを分けてもらえるかと思います。


2017年10月31日 [家系図]
このところ台風が立て続けに日本列島を縦断したこともあり、すぐれない天候が続きました。今月の土日などの休日は全て雨になってしまいました。天気予報によるとやっと今度の土日は晴れになりそうです。もう11月になります。紅葉のきれいな季節です。1か月ぶりにどこか出かけようかと思っています。

先日、家系図を作るため戸籍を見ていたところ、寛政10年に誕生した方の記録を見つけました。寛政10年というと1798年です。18世紀に誕生した戸籍の記録は当事務所では初めてのことです。このように、より古い記録との出会いも家系図作りの楽しみの一つです。

南天
今日は襲名についてです。
襲名といえば、歌舞伎や落語などで名を継ぐことを想像する方が多いと思います。
しかし、戦前くらいまでは一般の家での襲名も多くみられます。2代、3代、戸主が同じ名前というのは珍しいことではありません。
戸籍調査では江戸時代後期くらいまでに誕生した記録が限界ですから、実際は、もっと前から襲名が続いているのかもしれません。

現代人の感覚からいうと親子が同じ名前というのは不便のように思います。
では、なぜ名を継ぐのでしょうか。歌舞伎や落語などは伝統的な名跡の襲名により代替わりが行われますが、一般の家については個人を特定するためというのが理由の一つに考えられます。
江戸時代は武士などの特権階級を除いて一般の人は公に名字を名乗ることはできませんでした。現代では名字と名前を組み合わせにより個人を特定することができますが、名前だけだと特定が困難になります。
そのため代々名前を同じにすることにより特定するのです。
例えば、代々「右衛門」を名乗っているのはあの家だということになるわけです。


2017年10月11日 [家系図]
先日、家系図作成のため戸籍を見ていたところ、なんと実の親子が養子縁組をしているという記載を見つけました。実母が養母、その実子(嫡出子)が養子というものです。この戸籍は昭和初期に書かれたものですが、通常あり得ないことです。

以前、本ブログで紹介したことがありますが、例えば、母親が未婚のときに生んだ子(非嫡出子)について、後に母親が婚姻する際、連れ子と婚姻する男性との間で養子縁組をするとともに、母子間でも養子縁組をするという事例はあります。その理由は、実子であっても母子間で養子縁組をすることによって嫡出子の身分を取得することになるからです。
しかし、今回の例は、嫡出子の実子とその母が養子縁組をしているのです。
嫡出子をさらに養子にすることは何の意味もないかと思います。意味があると考えられるのは名字を養子縁組によって変えることです。名字を変えるためには通常は家庭裁判所の許可が必要ですが、養子縁組だと役所への届出だけで済んでしまします。しかし、本例については親子の名字も同じです。
したがって、そのような届出を受けた役所は受理しないと思うのですが、間違えて受理してしまったのでしょうか。どうもそうでもないのかも知れません。少なくとも民法上、実の親子間の養子縁組を禁止する規定はないからです。

大根

本例については、届出を受けた役所が無意味な届出であると説得しているのかもしれません。でも単純な間違
いなのかも知れません。

戸籍の誤った記載といえば、現在の戸籍にはほとんどありません。ほとんどというのは、役人も人間ですから時には誤りはあるものです。数か月ほど前、当事務所で戸籍を役所に請求したところ、役所で誤りに気づき、それを更正するので待ってほしいと言われることがありました。そのようなことは年に1、2回あります。その誤りというのは、婚姻で本籍地が変わった際、新しい戸籍にはその内容が記載されていたものの、従前の戸籍には婚姻した旨の記載が漏れ、独身のまま親の戸籍に残っていたのです。
このように最近でも誤りというのはありますが、明治、大正、昭和の戦前くらいの時代になると誤りの数の桁が違ってきます。その当時の戸籍を5通ほどみれば1箇所や2箇所の誤りは見つかるものです。
それも「古き良き時代」だったということなのでしょうか。


2017年09月14日 [家系図]
9月も中旬に入り朝夕はとても涼しくなりました。当事務所では、昼はまだエアコンに頼っていますが、日も暮れる頃になると窓を開けた方が風が通って涼しくなります。コオロギなど虫の鳴き声も聞えてくるなど、年中で今が一番過ごしやすい時季なのかもしれません。
来週の月曜日は「敬老の日」なので明日から3連休になりますが、この間、台風が列島を縦断するようで、行楽を予定している方には残念な連休になりそうです。

このブログでは、戸籍制度の始まったのが明治時代ということで、時々、明治時代の庶民の生活について紹介していますが、今回は人力車についてです。
明治初期の街をえがいた錦絵に必ずと言っていいほど登場するのが人力車です。人力車が始まったのは明治3年(1870)でした。それまでは駕篭屋だけでしたので、人力車が始まったころは駕篭屋の人たちが、客をうばわれまいと車引きをみては罵っていたそうです。その当時の駕篭屋は1万くらいありましたが、数年で人力車は2万5千にも達し、駕籠屋は消滅してしまいました。
このように急成長をとげた人力車ですが、日本人が発明したものだそうです。当時は文明開化ということで西洋から多くの物が入ってきていますが、人力車は違うようです。明治18年になると、逆に日本から西洋に輸出されるようになります。人力車は明治初期の最大の発明品でした。

そんな人力車ですが、馬車、鉄道、自動車の普及により昭和初期をピークに減少していき、現在では一般的な交通手段としての人力車は完全に消滅してしまいました。
ただ、今でも京都、各地の温泉街などでは観光用として人力車が活躍しています。京都で舞妓さんが人力車に乗っている姿は絵になるものです。

浅草・人力車
東京浅草では、10分程度のコースで1人2千円ほどで利用でき、手軽に日本文化を体験できるということで外国人にも人気があるようです。


2017年08月26日 [家系図]
家系図を作っていて気付くことですが、代々、その家で名前に一文字だけ同じ漢字を入れているものがあります。これを通字(とおりじ)と言います。

徳川家では多くの将軍の名前に「家」、仙台藩の伊達家では「宗」の字を使っています。また、今年のNHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」の井伊家は「直」です。
では、代々継がれた文字があれば武士の家系だったのでしょうか。結論から言うと関係ありません。通字は武士などの身分職業等に関係なく、多くの家で使われていました。
現代では通字というような概念はなくなってきていますが、昭和の初期の時代くらいまでは、その家で多く使われる字というのはありました。
今でも通字とまでは言えないまでも、それぞれの家で名前に使う傾向のある字というのはあるものです。
家系図を作っていると、その家なりの名付けの流儀が見えてくるものです。

すすき

家系図を作るに際し、戸籍は新しいものから順次、古い戸籍を戸籍を請求していきますが、その際、判明した先祖の名前から、まだ判明していないその父や祖父の名前を予想したりしています。
それも家系図作りの楽しみのひとつです。