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2015年01月28日 [家系図]

竜馬死後の海援隊は?

当事務所「家系図作成」ホームページトップには、坂本龍馬と勝海舟の写真を載せています。いずれも幕末の大スターです。今日は、坂本竜馬が隊長となった海援隊(前身亀山社中)について、明治維新後にどのようになったのか書いてみます。

海援隊を率いた竜馬が暗殺されたのは慶応3年11月15日です。近江屋の2階で同志の陸援隊の中岡慎太郎といたところを不意打ちされました。徳川慶喜が、大政奉還の決意を表明してからわずか1か月後のことです。統幕開国派の志士として歴史を動かしてきた竜馬は、まさに時代が変わったその時、享年33(満31歳)で無念の死をとげたのです。

では、竜馬が率いてきた海援隊は、その後、どうなったのでしょうか。
当時の海援隊は、竜馬とともに上京していた京都組と、長崎に残っていた組に分かれていました。
京都組は、幕府に狙われていたため、隊員は土佐藩邸と陸援隊に身を寄せいていました。京都組の長岡謙吉は、翌年、土佐藩から海援隊長に任命されました。そして、長岡は新政府に八か条の「海軍創立案」を提出し、かつて竜馬が学んだ神戸海軍操練所の再開の活動をしました。
一方、長崎組は、竜馬の死後、土佐藩に預けられ、遊撃隊として天草地方の治安維持にあたることになりました。しかし、その後、遊撃隊は、長崎府振遠隊に改編されて、多くの海援隊士が幹部に任命されたこともあり、慶応4年4月に解散することになったのです。
また、京都組もその翌月に事実上の解散となりました。
維新後に世界の海援隊となるという竜馬の夢は実現されることはありませんでした。


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