ビジネスブログ | 家系図作成 33000円から ”先祖の歴史を後世に伝えたい”

家系図作成
お問い合わせ
家系図作成
2015年11月28日 [家系図]

江戸のお風呂事情

家系図作成のため戸籍を調査すると、その多くは江戸時代に生まれたご先祖まで判明します。
今まで、このブログで明治時代については話題にしていますが江戸時代についてあまり触れたことがないので、これからは江戸の庶民の生活についてもアップしてみたいと思います。最初は、江戸時代のお風呂事情についてです。
江戸では、一般的に家には風呂はなく、銭湯に通っていました。薪代が高いということもありますが、一番の理由は火事を恐れたためです。明暦の大火(1657年)・明和の大火(1772)・文化の大火(1806)は江戸の三大大火と言われます。明暦の大火は「振袖火事」とも言われ、3万から10万人もの死者がでました。江戸時代は、非常に多くの大火が発生しました。江戸は木造家屋が密集して建てられていたため火が出ると消すというよりも壊して延焼を防ぐという方法で消火したようですが、消火活動もままならない江戸では何よりも火事を恐れたのです。
そんなことで銭湯は大繁盛しました。1800年代の初めの文化、文政の時代の江戸には銭湯が500軒以上あり、老若男女が集まる社交場でもありました。二階には休憩所があり、茶菓子などを食べながら世間話しや囲碁、将棋を楽しんでいました。江戸時代の銭湯は今でいうスパのようなものだったようです。
江戸時代の銭湯は、男女混浴(入込湯という)でした。しかし、風紀が乱れるとして寛政3年(1791年)、松平定信の寛政改革で一時禁止となりましたが、混浴の方が経営効率がよいため、根絶はされずに明治に入っても混浴は続いていました。三助(男)とは、客の体を洗う奉公人のことですが、男女関係なく客の体を洗ったようで、混浴にしても三助にしても今の感覚からは信じられないようなことです。
江戸、明治の時代は、男女の関係については厳しいイメージしかないのですが、以外と大らかだったのですね。


  • 「お問い合わせ」「資料請求」はこちらから(SSL通信)
  • お問い合わせ
  • 資料請求

PageTop