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2016年01月07日 [家系図]

江戸のグルメ

徳川幕府が誕生したころの江戸初期の江戸の人口は16万人(推定)でしたが、18世紀の初頭には100万人を超えたようです。百万人都市となった江戸は、生活にも余裕が出てきて、外食産業も大いに発達しました。特に、武士、奉公人、出稼ぎ人など、地方からやってくる単身の男性が多かったことで、高級料亭、茶屋や気軽に食事ができる屋台まで、様々な種類の外食産業が栄えました。中でも人気があったのは、ソバ屋、天ぷら屋、すし屋だったそうです。

上方では、うどんが好まれましたが、江戸ではそばが好まれ、ソバ屋はいたるところにありました。有名なのは「二八そば」で、2×8=16ということで、もりやかけそばが一杯16文(約400円)で食べることができました。天ぷらそばとなると2倍の32文(約800円)だったようです。屋台では、客が来ると、そば玉をザルに入れて熱湯の中で湯通しして出していたので、今でいう立ち食いソバ屋と同じです。
天ぷら屋は、屋台では串に刺して売っていたようで値段は1串で4文(約100円)程度だったそうです。
すし屋は、屋台では鮒寿司のような「なれずし」を販売していました。にぎり寿司が誕生したのは、文化年間(1804〜1818)で、値段はひとつ8文(約200円)ほどでした。ただ、当時のにぎりはすべて火が通してあったもので、生の魚を使うようになったのは明治に入ってからでした。

江戸での庶民の普段の食事は、ご飯に味噌汁、漬物が定番で、夜だけこれに1〜2品のおかずが付くのが一般的であったようです。当時の農村では雑穀中心だったのですが、江戸では庶民も白米を食べることが多く、おかずが少ないことで、偏った食事で起こる脚気(かっけ)は「江戸わずらい」と呼ばれました。

現代では、健康のため栄養のバランスを考えた食事ということでしょうが、当時は、生きるための食事だったのかもしれません。ただ、江戸の人たちのグルメにはびっくりですね。


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