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2016年02月04日 [戸籍]

維新後の大名

今日は立春。2月に入ると手紙などに書く時候の挨拶は1月に使っていた「厳寒の候」から「立春の候」に変える方が多いかと思います。当事務所でも2月に入ってからの家系図依頼者あてなどの通信文には「立春の候」を使っています。数日前まで使っていた「厳寒の候」と「立春の候」の語感は大分異なり、文書そのものが暖かく感じるようになります。

今回は、明治維新後の大名についての豆知識です。
明治維新の際、新たに大名となった家があることはあまり知られていないのではないでしょうか。明治維新後、1867年の大政奉還によって各大名は藩主の地位を失いましたが、藩は1871年の廃藩置県までは残されていました。
将軍家の親戚である御三家には、幕府から派遣された付家老(つけがろう)という家がありました。安藤家・水野家(紀伊藩)、成瀬家・竹腰家(尾張藩)、中山家(水戸藩)の五家です。付家老とは、代々各藩の家老を世襲して藩政の中核にあるとともに、御三家が幕府に反抗しないように目付け役も務めていました。
この五家が明治維新の際に藩から独立して大名となったのです。

その後、1884年(明治17)に公布された「華族令」の際、こうした維新立藩大名といわれる家は、他の大名より一ランク低い男爵となりました。
「華族令」によって、士族、平民以外に華族という地位が与えられ、「公爵」「侯爵」「伯爵」「子爵」「男爵」という五つの階級に分けられました。概ね、10万以上の大名は伯爵以上に、10万石未満の大名は子爵となりました。

明治時代にあった華族・士族・平民の階級は、当時、戸籍に記載されていました。明治の戸籍には、表題部と身分の変動を記載する箇所(本籍と名前の間)2文字分程度の空白になっているところがありますが、その部分に身分が記載されていたのです。現在、請求しても当該部分は抹消されて交付されます。でも、ごくまれにですが身分の抹消漏れがあります。役所といえども生身の人間のやっていることですから仕方がないのでしょうか。


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