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2016年06月05日 [家系図]

華族制度

今日は朝から雨が降ったり止んだりで少し肌寒い日です。
今日は、二十四節気の「芒種」(ぼうしゅ)です。
「芒」(のぎ)とは、稲や麦などの穀物の先端にある針状の突起のことで、つまり「芒種」とは稲や麦などの種まきに適した時期という意味です。時候の挨拶でもこの時期には「忙種の候」が使われます。「芒」と「忙」の意味は違いますが、いずれも種まきに適した時期、種まきに忙しい時期ということです。これまでの爽やかな初夏から蒸し暑さを感じる季節に変わり、すぐ梅雨入りとなります。

今回は、明治時代に入って新たに生まれた地位の「華族」についてです。
明治に入ると、士農工商の身分制度がなくなり、大名や公家といった特権階級が消滅しました。しかし、それらの特権階級をいきなり否定することはできませんでした。維新に大きな功労のあった元勲については、もとは下級藩士が多く、かつての大名をいきなり一介の一国民にもできません。
明治2年の行政官布達によって従来の公卿・諸侯の称を廃止し、427家(諸侯270家・公家137家・維新後に公家・諸侯になった家20)に「華族」という新しい地位を与えました。
その後、明治17年に制定した「華族令」で、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の5階級に分類しました。
大名や公家といった旧華族はほぼ子爵以上となり、明治維新で活躍した一族には、基準より高い爵位が与えられ、例えば、三条家、岩倉家、島津家などは公爵に、木戸家、大久保家などは侯爵となりました。
華族の特権の多くは名誉的なもので、実生活上の特権は、貴族院議員の優先的選出、学習院への無条件入学くらいです。経済的基盤のあった大大名出身者や政府の要人などはともかく、公家華族などは経済的に恵まれているとはいえなかったようです。
その後、華族の分家、日清戦争、日露戦争での功労者、政府の要職についた人物、政府とつながりの深い大商人、僧侶、神官などにも次々と爵位が濫発されたことにより、新たに400家以上の華族が誕生しました。
しかし、昭和22年の憲法(14条貴族制度の禁止・法の下の平等)の施行によって華族制度はなくなることになります。

古い戸籍には、明治から始まった身分制度による身分(華族・士族・平民)が記載されていました。しかし、現在では人権の問題から戸籍に記載されている身分は白く抹消されて発行されています。当事務所で家系図を作成する際、依頼者から抹消される前に取得した戸籍を参考に提供されることがありますが、それを見ると身分欄に身分が記載されています。そのほとんどは平民ですが、ときどき士族が記載されていることもあります。
残念ながら今までに華族は一度も見たことはありません。


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