
2014年07月29日 [山歩き]
森林浴
森や林の中に入ると、気分がすっきりして、心が落ち着いてきます。
それはフィトンチッドといわれる樹木から発散される木の香りの成分によるものだそうです。そのほかにも、目に優しい緑、鳥のさえずり、爽やかな空気などの要素もあって、人の気持ちをリラックスさせてくれるのでしょう。
私の趣味の山歩きは、高い山には行きません。行かないと言うよりも行けないと言った方が正確かもしれません。昨年、丹沢山系が主なのですが色々な山に行きましたが、そのなかで大山(標高1252m)が一番高い山でした。そのくらいの標高が歩いて登る山としての限界かと思っています。当初、下りは全部自力で歩こうと思っていたのですが、登りで筋力を使い切ってしまい、下りでは筋肉を使わないいわゆる棒歩きになってしまいました。そのため膝に負担がかかって痛くて歩けなくなり、中間駅の大山寺駅からケーブルカーに頼るという結果になってしまいました。
私の歩く山は低いため山頂以外は森の中を歩いているようなものですから森林浴そのものです。人間は、もともと森に住んでいたと言われています。私たちが木や緑を見ると安らぎを覚え、心地よいと感じるのは当然なのかもしれません。ちなみに森林浴を行う時間帯としては木々の活動が活発になる晴れた日の午前11時頃、そして時期的には6月頃と秋の落葉シーズンがフィトンチッドが多く発散されるそうです。
先ほどの大山登りを契機として、伸縮する登山用ポールを購入して使っていますが、今度は両腕の力も使うので、足の負担は半減するくらい楽になり、それ以来、膝の痛みは出ることはなくなりました。
今度はポールを使って、再度、大山に挑戦しようと思っています。

昨年11月に行った大山中腹での写真です。
それはフィトンチッドといわれる樹木から発散される木の香りの成分によるものだそうです。そのほかにも、目に優しい緑、鳥のさえずり、爽やかな空気などの要素もあって、人の気持ちをリラックスさせてくれるのでしょう。
私の趣味の山歩きは、高い山には行きません。行かないと言うよりも行けないと言った方が正確かもしれません。昨年、丹沢山系が主なのですが色々な山に行きましたが、そのなかで大山(標高1252m)が一番高い山でした。そのくらいの標高が歩いて登る山としての限界かと思っています。当初、下りは全部自力で歩こうと思っていたのですが、登りで筋力を使い切ってしまい、下りでは筋肉を使わないいわゆる棒歩きになってしまいました。そのため膝に負担がかかって痛くて歩けなくなり、中間駅の大山寺駅からケーブルカーに頼るという結果になってしまいました。
私の歩く山は低いため山頂以外は森の中を歩いているようなものですから森林浴そのものです。人間は、もともと森に住んでいたと言われています。私たちが木や緑を見ると安らぎを覚え、心地よいと感じるのは当然なのかもしれません。ちなみに森林浴を行う時間帯としては木々の活動が活発になる晴れた日の午前11時頃、そして時期的には6月頃と秋の落葉シーズンがフィトンチッドが多く発散されるそうです。
先ほどの大山登りを契機として、伸縮する登山用ポールを購入して使っていますが、今度は両腕の力も使うので、足の負担は半減するくらい楽になり、それ以来、膝の痛みは出ることはなくなりました。
今度はポールを使って、再度、大山に挑戦しようと思っています。

昨年11月に行った大山中腹での写真です。