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2020年02月23日 [家系図]

廃仏毀釈

このところすっかり春らしくなりました。我が家の隣にある公園の梅の花も満開です。
梅の花
今年は桜の開花も大分早くなるそうです。
暖かくなったのはいいのですが、現在、世の中は新型コロナウイルスで大混乱です。何とか早く収束してほしいところです。

今回は「廃仏毀釈」についてです。
「廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)とは、明治維新の新政府によって発せられた慶応4年の「神仏分離令」(太政官布告)及び明治3年の「大教宣布」などの政策をきっかけに暴走した民衆によって引き起こされた仏教施設の破壊などの行為のことです。
明治新政府は仏教排除を意図したものではなく、あくまで神道と仏教の分離が目的でした。
新政府は、西欧列強に追いつくために中央集権的で近代的国家を作るための政策を行いますが、その一つが神道と仏教を分ける政策でした。明治政府は神道を国教として祭政一致の方針をとります。それは徳川時代の否定という意味でもありました。
しかし、新政府の意図しないかたちで本令等の発布をきっかけに廃仏毀釈運動が行われるようになるのです。
江戸時代における寺請制度に不満を持つ人が多くいました。それまでは寺請制度によって檀家からなる財政基盤によって寺院は大変潤っていました。しかし神社側はそのような財政基盤を持たず、雑役を神官がされていたというようなこともあり、寺院に不満を抱く庶民や神道側の人たちが多くいました。
廃仏毀釈運動によって、寺院の仏像、仏壇、仏具などが破壊され、仏像を神社からなくして寺院を廃止していきました。
薩摩藩では1600を超える寺院が廃寺となり、また、美濃国(現在の岐阜県南部)では苗木藩の寺院や仏像等は全て破壊されたそうです。
家系図作成において、寺院に保管されている過去帳は貴重な資料となりますが、この廃仏毀釈運動によって失われていることもあります。
特に薩摩藩のあった鹿児島などでは江戸時代の記録は残されていないため、調査は難しいといわれています。


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