苗字が大きく動いた明治8年|家系図作成 33000円から ”先祖の歴史を後世に伝えたい”

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苗字が大きく動いた明治8年

明治政府は江戸幕府を倒した後、さまざまな方面において改革に乗り出しました。
東京遷都、版籍奉還、廃藩置県、富国強兵、殖産興業等、基本的に日本の近代化が目標であり、政治、軍事、財政等と様々な改革がなされていきました。

明治2年(1869)6月、「四民平等」の掛け声の下に、新しい「四民」が創出されました。江戸時代の「四民」とは士農工商ですが、ご承知のようにその下に穢多、非人という階層がありました。このような江戸時代の身分差別が、ここに撤廃されたのです。

桜と文翔館

そして農民や町民に苗字を名乗らせる平民苗字必称義務令(明治8年・1875)が出されました。
これにより苗字が大きく動いたのです。

家系図にはご先祖様の名前が載りますが、様々な理由で苗字が変わる場合もあります。その理由の一つに明治8年に出された法令があります。ここでは、日本の苗字制度が大きく動いたその出来事についてご紹介します。
明治8年前までの日本の苗字
苗字は「名前の豆知識」ページにも紹介しているように、平安時代の終わり頃に新興の武士が名乗り、その後は時代の流れに沿い御家人や公家などにも付けられるようになり、地主となる豪農などにも付けられるようになります。

領地の管理に関わることで付けられた苗字ですが、江戸時代には「苗字帯刀禁止令」が出され、苗字を名乗り帯刀することは武士の特権とされたため、平民は公の場で苗字を名乗ることを禁じられました。明治3年に平民にも苗字の使用が許可され登録を促しましたが、税金を多く取られるようになるのではないかという憶測や登録後改名をしてはいけないという法令、徴兵令が出されたことなどにより、順調には進みませんでした。

明治4年に戸籍法が制定され、明治5年からは全国で戸籍への登録が始まりました。
戸籍法が制定されても、苗字公称は許可するだけで義務にはなっていなかったため、永年、苗字を使っていなかった多くの人たちは、すぐには応じませんでした。
平民苗字必称義務令の発令
苗字制度は、明治8年2月13日に公布された「平民苗字必称義務令」により、大きく動きます。この法令により強制的に全ての国民に苗字が付けられました。

ほとんどの人はご先祖から受け継いだ家名を登録したようですが、中には家名も分からない人やこれを機に苗字を変えた人もいました。
永い間、「隠し苗字」を隠していたので、自分の苗字を忘れてしまった者も多かったようです。このような場合、戸長や菩提寺の住職が苗字を考えてやったりしました。小作人のなかには、地主の苗字を貰った者もあったり、一村の住人が、みな同じということもありました。

明治時代イメージ


苗字がわからないという人が新しい苗字を持ち、苗字を変えた人などがいたこの時期は苗字の転換期となり、この頃生まれた新しい苗字のことを「明治の新姓」と呼びます。
☆「苗字」「名字」についてのワンポイト☆

「苗字」も「名字」も同じ意味で使っていますが、「常用漢字表」では「名字」となっていることから、公文書では「名字」を使っています。当ホームページでは基本的に常用漢字である「名字」を使っていますが、明治期における苗字の説明の場合は当時の法令に合わせて「苗字」使っています。

「名字」と「苗字」では、その由来が異なります。
「名字」→平安時代、武士たちが所有している土地を「名田」と呼び、もともと持っていた字(あざな:名前)といい、「名田」と「字」(あざな)から「名字」が誕生しました。

「苗字」→江戸時代、もともとあった「名字」から子孫、末裔など系統をひく一族をあらわす「苗字」に変化していきました。江戸時代に生まれた「苗字」は明治時代も使われましたが、その後、昭和21年(1946)に告示された「当用漢字表」で「苗」という漢字の「みょう」の読み方が削除され、その後の「常用漢字表」の中でも「みょう」の読み方は復活することはありませんでした。

紅葉
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